7月8日、金日成主席死去10年


2004年7月8日は北朝鮮の金日成主席が死去して10年になる日です。
10年前の北朝鮮の放送は、金日成主席の死去をどのように伝えたか、その模様を紹介した1994年7月31日放送のNHK国際放送「ラジオ日本」の英語メディア情報番組、"Media Roundup"から再録します。

金日成主席死去による北朝鮮のラジオ放送の動き(まとめ)       山下 透

(Mark)
 "Media Roundup"では、7月3日、「核開発疑惑の関連で世界から注目をあびている国、北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国」として、同国のラジオ放送事情を紹介しました。それからまもなく、7月7日17時UTC、朝鮮時間の7月8日午前2時、北朝鮮の金日成主席が死去しました。
 北朝鮮のラジオとテレビは7月9日3時UTCに金日成主席の死去を発表し、それ以降、世界のマスコミは北朝鮮のラジオ放送と、衛星を通じて伝送されるテレビ映像に注目しました。
 金日成主席の追悼大会も7月20日に終わり、後継者とみられる金日成主席の息子、金正日書記がそのまま国家主席と朝鮮労働党総書記を引き継ぐのかが焦点となっていますが、今日のサーベイでは、その間の朝鮮中央放送(Korean Central Broadcasting Station)と平壌放送(Pyongyang Broadcasting Station)の動きを、DXerとしての観点からまとめてみたいと思います。まとめは、Toru Yamashita, the presenter of Radio Japan's DX program in Korean、読みはMari Kishiです。尚、このサーベイではすべて朝鮮の現地時間を用いています。朝鮮時間はUTC+9時間です。



(Mari)
 朝鮮中央放送と平壌放送が、7月9日12時から特別放送を放送すると予告したのは2時間前の10時。これは日本のラジオモニターによる通信社、ラヂオプレス(Radiopress Inc.)が朝鮮中央放送をモニターしていて判明したものでした。  
 これについては時事通信がラヂオプレスからの引用として、パソコン通信"NIFTY-Serve"でも配信したため、私も11時20分には北朝鮮の放送が12時から特別放送をするということを前もって知ることが出来ました。
 そして11時30分から、私も朝鮮中央放送と平壌放送のモニターを開始しました。すると、この2つの放送系統はすでにパラレルになっており、音楽を放送していました。しかもその音楽は、最近では日中には殆ど放送されないマーチなど、いかにも通常の選曲とは異なっていました。
 やがて11時39分。このようなアナウンスメントが流れました。

(SE1 特別放送予告)

 「全国の聴取者と視聴者にお知らせします。今日の昼12時からラジオとテレビジョン放送で、特別放送をお送りします」
 何か慌てたような口調で、昼12時からの特別放送について予告するものでした。ちょうどこの頃には、南北朝鮮の首脳会談の開催が決まっており、双方の実務者が具体的な協議に入っていましたので、その南北首脳会談に関する重大発表か、あるいは米朝第3ラウンド高位級会談や核問題に関する重大発表ではないか、と私は勝手な想像をしていました。
 そして問題の12時になりました。

(SE2 IDと特別放送)

 「全ての党員と人民に告ぐ」と題されたアナウンスの内容は、金日成主席が7月8日午前2時に急病で死去したことを告げるものでした。これに続いて、国家葬儀委員会のメンバーの紹介と、7月17日に追悼大会を行う旨などの葬儀日程を紹介する同委員会の公報、そして金日成主席の死去について科学的に死因を紹介し、葬送曲に切り替わりました。

(SE3 葬送曲)

 これに続いて、朝鮮中央放送や平壌放送のインターバルシグナルの原曲である「金日成将軍の歌」(SONG OF KIM IL-SUNG)や「インターナショナル」なども放送されました。この特別放送から1時間後、すなわち13時には海外向けのRADIO PYONGYANGの放送が始まりましたが、この時間の日本語放送でも、国内向けに放送された特別放送の内容が日本語に翻訳され、葬送曲などと共に放送されました。国内向け発表からわずか1時間後ですから、非常に早い対応です。もっとも、主席の死去は前の日でしたから、発表までの間に原稿が用意され、翻訳する余裕は充分にあったとも考えることができます。
 特別放送からまる1日の間、ほぼ毎時0分からは特別放送の再放送があり、それと共に金日成主席の死を悲しむ人民達の声も放送されるようになりました。
 ところで、朝鮮中央放送は朝5時の放送開始の際、国歌のあと、「偉大な首領金日成同志万歳、栄えある朝鮮労働党万歳」という「スローガン」があり、開始アナウンスと番組予告と続くのが通常でした。その「かけ声」にもある金日成主席が死去してしまったのですから、私はこの「スローガン」が変更されるのではないかと思いました。しかし、そのスローガンは変更されませんでした。死去しても、偉大な首領はそのままでした。
 ところが、この開始アナウンスに変化が見られました。「かけ声」はいつも決まった男性アナウンサー、リ・サンビョク氏(Mr. Lee Sang-Byok)の声の録音によるものですが、開始アナウンスは番組予告と共にその日毎に録音されたものが放送されています。そのうち、番組予告がなくなったのです。これは終了アナウンスでも同様でした。おそらく、追悼番組による特別編成のため、番組予告を休止したものと思われます。おまけに、開始アナウンスや終了アナウンスを女性アナウンサーが担当した場合、泣きながら声を震わせてアナウンスしている人が多かったのです。女性アナウンサーが泣きながら天気予報を伝えると言うのも聞けました。それでは、朝鮮中央放送の7月13日5時の開始アナウンスの録音です。
 
(SE4 泣き声の開始アナウンス)

 追悼番組による特別編成としては、いわゆる「報道」が中止されたと言うことです。金日成主席の死去から日が経つにつれて、外国から次々と弔電が到着しましたが、これには「報道」というタイトルを付けず紹介していました。また、弔問客の様子を伝えるのも、「報道」のような番組フォーマットでありながら、タイトルは付いていませんでした。
 ところで、9日に放送された国家葬儀委員会の公報の中で、追悼期間中は一切の歌舞や娯楽を慎むというものがありました。一般的に言えば、追悼期間中の放送で流れる音楽としては荘厳な音楽が普通ですが、北朝鮮の場合は少し違いました。勿論、先に紹介した葬送曲は何度も放送されていましたが、「金日成将軍の歌」や「赤旗の歌」など、金日成主席を讃える歌であれば、どんな賑やかなメロディーであっても放送されていました。そして、金正日書記を讃える歌も同様に放送されていました。ただ、最近、北朝鮮音楽の主流になっているとも言えるシンセサイザー演奏による歌や音楽は流れていませんでした。
 7月16日7時、朝鮮中央放送は突如、国家葬儀委員会の公報として、当初17日に予定していた追悼大会を延期し、19日に永訣式、20日に追悼大会を開催するとアナウンスしました。
 そして迎えた永訣式の行われる7月19日。通常は5時から翌日の深夜3時まで放送している朝鮮中央放送は、前の日の番組を3時以降も延長して放送し、平壌放送とパラレルで4時27分まで放送していました。永訣式が行われる日ということで延長放送を実施したようです。
 永訣式の中継放送はライブではなく、録音で12時から放送されました。

(SE5 永訣式録音中継)

 これに対して翌20日の追悼大会は、9時52分からライブで中継放送が始まりました。追悼大会の式典は10時から11時16分まで行われ、その後12時から3分間、全国一斉に黙祷を捧げるため、ラジオを通じてもサイレンが放送されました。

(SE6 黙祷の合図、サイレン)

 この追悼大会をもって、金日成主席の一連の葬儀の日程が終了しました。翌日からは開始及び終了アナウンスでの番組予告が復活し、「報道」も復活しました。
 日本をはじめとする外国の報道機関は、金日成主席の没後、金正日書記に対し敬意を表し、賛美する番組が増えたと伝えていますが、これは番組のみならず、番組と番組の間に放送される音楽からもうかがうことが出来ます。朝鮮中央放送の開始時の番組予告に続いて放送される歌「あなたがいなければ祖国もない」という歌は、金正日書記がいるからこそ、我々人民が存在し得るのであり、祖国も存在し得るということを唱ったものですが、この歌の放送回数が一日の放送の中で非常に増えました。また、金正日書記を讃える新曲もいくつか登場しています。
 金正日書記が正式に後継者として決まり、発表されれば、朝鮮中央放送と平壌放送はまた何か変化を見せてくれるかも知れません。

(SE7 「あなたがいなければ祖国もない」のさわり CI〜FO)
  
                                                          −終−

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2004.7.6更新

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