「救国の声放送」のあゆみ


 北朝鮮は1966年10月、朝鮮労働党代表者会議において、対南地下放送の開始を決定し、翌1967年3月15日から「南朝鮮解放民主民族聯盟放送」という名で、出力50kWの送信機を使用して、1日2時間の放送を開始した。
 そして、1969年8月25日、南朝鮮(韓国)の革命家達が南朝鮮革命を行うために創建した地下政党「統一革命党」が創党し、これを受けて1970年6月15日、「南朝鮮解放民主民族聯盟放送」は「統一革命党の声放送」として新たなスタートを切った。
 今般、北朝鮮が対南誹謗放送中止の具体的な動きとして打ち出した「救国の声放送」の中止は、この「統一革命党の声放送」を原点としている。

 南北間の誹謗放送の中止は、1972年7月4日の南北共同声明でもうたわれ、韓国側は当時、地下放送である「統一の声放送」を中止したり、対北朝鮮放送であるソウル中央第3放送をソウル中央社会教育放送(現KBS社会教育放送)に名称変更したりするなど、その合意事項を履行したが、北朝鮮側は「ソウルから放送している」としていた「統一革命党の声放送」は中止せず、1973年3月1日には1日2時間だった放送を3倍の1日6時間に増強し、同年6月1日には駐韓米軍を意識した1日30分の英語放送を追加した。またこの頃には送信出力も100kWに増強した。さらに7月1日からは1日30分の朝鮮中央放送中継も開始し、最大出力は150kWになった。
 1974年4月1日には放送時間を1日8時間30分、最大出力300kWになり、同年12月には1日12時間に延長し、翌月の1975年1月1日からは1日12時間30分の放送となり、最大出力も500kWに増強した。そして1976年3月1日には中波1135kHzの出力が1500kWになった。
 1977年1月には一旦、放送時間が1日7時間30分に短縮された。
 1978年11月23日にアジア地域の中波放送局の周波数割当が10kHzステップから9kHzステップに変更されたのを受け、地下放送である「統一革命党の声放送」もこれに遅れること一ヶ月、12月20日より中波1135kHzを1053kHzに周波数変更を実施した。
 そして、1979年6月20日からは1日10時間30分に、同年6月25日からは11時間30分に拡大した。

 1985年7月27日、「統一革命党の声放送」の母体であった「統一革命党」は、急変する時局の変化と党自体の発展の要求に合わせ、「韓国民族民主戦線」と改称し、韓国の広範囲な各界の民衆を社会階級的基礎とする大衆的な党に強化発展させた。それを受けて「統一革命党の声放送」も同年8月9日から「韓国民族民主戦線」が運営する「救国の声放送」と改称した。
 北朝鮮は同年8月15日、「救国の声放送」とは別に、新たな地下放送局を開局させた。その名も「民衆のこだま放送」で、「救国の声放送」と同様にソウルから放送しているとアナウンスしていた。これにより、北朝鮮の地下放送は、「救国の声放送」が1日10時間、「民衆のこだま放送」が1日3時間放送するようになった。韓国政府が1988年のソウルオリンピックを前に、1987年と1988年の夏に、標準時を1時間繰り上げるサマータイムを採用したが、「ソウルから」と偽称していた両放送局も、放送時間を韓国のサマータイムに合わせて変更していた。だが、ソウルオリンピックの頃には1日9時間放送していた「民衆のこだま放送」も、オリンピック終了後はその使命を終え、1989年6月には閉局し、その放送要員および設備は「救国の声放送」に引き継がれ、放送時間を1日16時間に大幅に拡大した。

 それ以降、放送時間には変化が見られなかったが、1986年6月から10月末まで「民衆のこだま放送」にミン・ヨンフン教授として出演していた呉吉男氏が、ドイツ経由で韓国に逆亡命し、1992年5月に地下放送についての詳細が発表され、北朝鮮の地下放送は朝鮮労働党統一宣伝部に所属し、平壌市興富洞の七宝山連絡所で番組が制作されていることが判明した。そして、北朝鮮に拉致された大韓航空の元スチュワーデス、成敬姫さんと鄭敬淑さんが「救国の声放送」のアナウンサーとして出演していることも明らかになった。
 呉吉男氏への取材によると、七宝山連絡所全体の要員は100〜200名規模で、放送局というよりは編集・制作部署となっており、当時、建物の1階と2階に録音施設があり、1階に救国の声放送、2階に民衆のこだま放送があった。また、スタッフの中には在日同胞や日本人拉致被害者はいなかったが、英語放送要員は、曽我ひとみさんのご主人であるジェンキンス氏から指導を受けていたという。(ジェンキンス氏自身は放送には出演せず)

 2003年7月の南北閣僚級会談において、北朝鮮は8月15日を期して、南北のラジオ・テレビによる誹謗放送の中止を提案し、「ソウルから放送している」とする「救国の声放送」は7月29日、「北側のこの歴史的提議に共感を表し、これに応えて、8月1日から全面中止」することを発表した。そして予告通り、8月1日の0時過ぎに、30余年の歴史に幕を閉じた。



救国の声放送概要

局名: 救国の声放送
運営団体: 韓国民族民主戦線(実際は朝鮮労働党)
開局: 1985年8月9日(1967年3月15日、「南朝鮮解放民主民族聯盟放送」として開局、1970年6月15日は「統一革命党の声放送」と改称)
スタジオ所在地: 平壌市牡丹峰区域興富洞
送信所所在地: 平壌、海州、元山

送信機運用状況: 
 4120kHz=平壌から送信している9665kHzの朝鮮中央放送とシェア
 6010kHz=平壌から送信している6250kHzの平壌放送とシェア
 4400kHz=平壌から送信している朝鮮の声中継波3560kHzとシェア(3560kHzが恒常的に使用されているため、現在は4400kHzは出ていない)
 1053kHzと4557kHz=海州から送信
 3480kHz=元山から送信
放送言語: 韓国語、英語
局名アナウンス: 
 韓国語=クグゲ ソリ パンソンイムニダ(救国の声放送です)
 英語=This is the English language service of the Voice of National Salvation, the National Democratic Front of South Korea.
インターバルシグナル: 金正日将軍の歌
開始・終了テーマ: 韓民戦歌
停波前のスケジュール(日本時間):
1200-1600 1053, 3480, (4400) 4450, 4557kHz
1900-0200 1053, 3480, 4120, (4400) 4450, 4557, 6010(2300まで)kHz
0500-0930 1053, 3480, (4400) 4450, 4557kHz
0930-1000 1053, 3480, (4400) 4450, 4557kHz ←英語放送
※4400kHzは停波中

番組表(2001年12月調査)



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