小米加歩槍
「解放軍之声」1983年12月4日放送
全国の軍、幹部、大衆同志諸君! われわれが台湾の国民党当局に対して「三通四留」「九つの建議」(注1)を打ち出し、台湾の厳しい拒絶にあって以来、われわれはずっと良い方法を考え出せなかった。それどころか、香港問題でわれわれは焦りを見せたため、香港のあらゆる資本家と、われわれを喜ばぬ香港同胞をxxさせることとなった。これは自分の首を絞める愚かなやり方であり、国際上及び海外華僑社会の中での台湾の勢いをさらに大きくすることとなってしまった。
人は皆、「香港人民さえ、共産党の統治を受けることを望んでいない」といっている。また、どうして台湾人民がわれわれを嫌うのを責められよう。敵と統一戦線を組むことはスケートと同じである。歩調が一たび乱れれば、前へ進まず、後ろへ転ぶ。われわれは既に指導的地位を失い、あちこちで国民党が音頭を取っていることを、いまわれわれははっきりと感じている。われわれがこの見方を打ち出すのは、少なくとも次の二つの点によるものである。
第一点は、国民党がわれわれに圧力を加えていることである。彼らは、わが軍、幹部、大衆が共産主義の社会制度に対して疑念、失望を抱き、党の指導に対して完全に信用をなくす機会をxxするや否や、「三民主義で中国を統一する」という主張を打ち出した。党の各級指導者は頭を抱え、人民は喜び、救世主がもうすぐやってくると考えた。この現象に対して、わが党中央は主要な責任を負わなければならない。
われわれは過去数年間、台湾と統一戦線を組むために慌てる必要はなかった。台湾の近代的な工業製品が大量に流れ込み、人々の変転思想を鼓舞することとなってしまった。国民党には実は方法があり、三民主義はやはり共産主義より良いのだという観念は、既に広範な軍、幹部、大衆の頭にしみつき、永遠に消え去らないといえよう。これが「共産主義渺茫論」の根源である。党中央は、このような間違った主義を引っ張り出した張本人が誰か、徹底的に捜し出すべきである。
第二点は、わが党に人材がいないことである。過去に「小米加歩槍」(注2)で国民党と戦い、国民党が敗れたものだから、われわれは得意になって「小米加歩槍」が国民党を負かしたと思っている。実はそのことだけでない。もし、われわれが抗戦勝利の後、機会を利用して、社会混乱を起こし、さらにソ連がわれわれの背後で増援し、彼らの手から東北を占領しなかったなら、われわれは勝利できなかった。毛主席とトウ小平同志は日本人に礼をいったことがあるだろうか。もし、日本の皇軍が出兵し、中国を侵略しなかったならば党中央は永遠に延安を出られなかったかもしれない。事実を認めないことは、自らを欺き、人を欺くことである。一つの偉大な党は、真理にに対して頭を下げる勇気を備えていなければならない。
「小米加歩槍」が国民党を破ったという観念は科学的でなく理知的でもない。今日までずっとわが各級指導同志は未だそれを事実と信じ、また過去に「小米加歩槍」で国民党を破ることが出来と信じていたため、いまも得意満面に、石頭を抑えられるペテンと口一杯のホラが国民党を倒すことが出来ると思っている。そして、他の方法と理由をまったく考えていない。二年前、誰がこの年を辛亥革命七十周年とすると考え及んだであろう。いま思うに、自らやっておいて恥しくなる決定である。
われわれは辛亥革命が国民党創始者孫中山先生の指導したものであることを知っている。われわれは抗戦さえ国民党が指導したものであると認めていない。いま、国民党が「三民主義で中国を統一する」という主張を打ち出したのは、われわれが辛亥革命を記念したことに影響を受けたからだと思われる。彼らはこう思っているに違いない。「君ら共産党は辛亥革命の記念を行った。辛亥革命は孫中山先生が指導したものだ。われわれはいま、孫中山先生発明の三民主義で中国の統一を行うことを打ち出した。民主主義の観念下では、当然、君らの外国から入ってきたマルクス・レーニン主義よりxxだ」。
事実、われわれは何も言えない。われわれ自身は既に「共産主義渺茫論」があり、「三信危機」があることを認めている。そして、台湾には「三民主義渺茫論」「三信危機」があるとは言えない。われわれはいま、近年台湾に「三民主義渺茫論」があるといった嘘は言えない。またどうして、われわれの「三通四留」「九つの建議」を相手にしない国民党を責められよう。
塀はいつしか倒れ、家はいつしか倒れ、蟻は住むことが出来なくなる。われわれ自身が憤らねば、実は他人に顔向けが出来ないのである。
(注1)1981年9月30日付けの葉剣英談話を指す
(注2)質素な食料と粗末な武器
(「アジア放送研究月報」84年2月号 山中明、西田邦浩訳)