地下放送再録


林彪事件は四人組のデッチ上げ 

「八・一電台」1981年9月13日放送

建軍56年を祝う

「八・一電台」1983年8月1日放送

七・七事件47周年

「八・一電台」1984年7月7日放送

盧山会議25周年

「八・一電台」1984年7月14日放送

子供を救え!

「火花台」1983年10月6日放送

トウ小平はかつて何といったか

「無産者戦闘師」1984年1月2日放送

小米加歩槍

「解放軍之声」1983年12月4日放送

決していつまでも平穏無事ではない

「紅旗広播電台」1986年4月8日放送

真の主人公の座を勝ち取ろう

「中国人民之声」1983年1月1日放送

共産党を打ち倒そう

「民主広播電台」1989年8月21日放送


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林彪事件は四人組のデッチ上げ


   「八・一電台」1981年9月13日放送 


 光陰矢の如し。既にちょうど10年たった。10年前の1971年9月13日、四人組総局は林彪を殺害した。それは秘密のうちに行われた。四人組は、林彪が反革命の陰謀を企み、毛主席の暗殺を企てたという作り話をデッチ上げた。しかし事実は、林彪はずっと忠実な毛主席の親密な戦友であり、一貫して毛主席の話を聴き、毛主席の革命路線を堅持し、忠実に毛沢東思想を貫徹してきたのである。
 今から皆さんに、本当の林彪の講演の録音をお聞かせする。林彪がどのように毛沢東思想を受け継いでいたかを聞いて下さい。
 (林彪)「われわれは毛主席の指導により、毛沢東思想を革命の精神としている。プロレタリア文化大革命のために力を尽くして前進しよう! 今回のプロレタリア文化大革命は毛主席の指示に基づいている。毛主席は素晴らしい革命家であり、偉大なプロレタリア階級の思想家である。文化革命は既に前進発展し、既に偉大な革命となっている!」
 皆さん! 当時の党の指導者は皆、林彪が毛主席の親密な戦友であり、後継者であると承認している。毛主席も林彪が親密な戦友であり、後継者であると信じていた。毛主席が自ら林彪を指定して九全大会で政治報告をさせたことは誰でも知っていることではないか!
 次に、毛主席と林彪の講演の録音を聞いて下さい。
 (毛沢東)「私は、今回の代表大会が立派に進行し、団結の大会、勝利の大会となるよう希望する。林彪同志が中央を代表して政治報告をおこなう」
 (林彪)「われわれの今回の代表大会は、わが党の歴史において深遠な影響をもつ代表大会となるであろう。今回の代表大会は、毛主席の自ら起こし指導しているプロレタリア文化大革命が偉大な勝利を収めた時に開かれたものである」。事実が証明しているように、毛主席に基づくものは、九全大会の中に明確に定められている。即ち、林彪同志は一貫して毛沢東思想の偉大な赤旗を高く掲げ、毛沢東同志のプロレタリア革命路線に最も忠誠であった、ということである。林彪同志は毛沢東同志の親密な戦友であり、後継者でもあった。
 林彪が10年前、突然毛主席に対して陰謀を企て、暗殺しようとしたなどということは、まったく根も葉もないデタラメの作り話である。四人組こそ腹黒く残虐に誹謗しているのである。
 問題なのは、四人組が最も軍隊を恨み、わが軍の指導者と部隊の幹部を恨んでいることである。四人組は、軍隊と軍隊の幹部に打撃を与えるのに都合がよいように、林彪がやったとデッチ上げたのである。林彪が被害を受けて既に10年になった。しかし、この歴史上の問題は、いまになっても得ることろや公正な解決がない。
 中央のある者は引き続いて、デッチ上げられた林彪事件を利用し、部隊や幹部を迫害している。わが軍にとって、四人組が作り出した林彪デッチ上げ事件は必ず解決しなければならない最大の歴史上の問題である。われわれ全党、全軍、各全国人民は徹底してデッチ上げられた林彪事件を間違いだとしなければならない。   
(「アジア放送研究月報」81年11月号 林徹訳)





建軍56年を祝う

 
「八・一電台」1983年8月1日放送 


 中国人民解放軍が建軍してまる56年になった。数十年来、わが軍は激しい戦いの環境の中で、また国内国外の敵と長期にわたる格闘の中で、たゆまぬ成長を遂げた。人民解放軍がなかったならば、人民革命の勝利という輝かしい歴史及び人民の政権、社会主義祖国はあり得なかったであろう。われわれの党の革命の歴史と人民解放軍とは、切っても切り離せないものである。建国後、わが軍は社会主義祖国の建設を護ってきただけでなく、文化大革命を終らせ、四人組を粉砕したなど、それぞれの大きな歴史の分岐点の時期に、国家人民の利益を堅固に護ってきた。 
 まさに四人組が全国で横暴な振舞いを行っていた時期に、解放軍がこの重要な時期に出てきて制圧を加えなかったならば、国家と人民は必ずや大きな災害を被ったに違いない。さらにトウ小平、胡耀邦、彭真などを含む現在の多くの中央の指導者は劉少奇、彭徳懐などの同志が受けたような迫害を受けた可能性は十分あったかもしれない。
しかし、まさにこの時期にも、わが軍指導者及び軍隊の各級幹部は、わが軍歴史以来の最大の屈辱を受けた。軍隊の各級幹部は繰り返し粛正や清洗を受けた。最近出版された「トウ小平文選」の中からも見い出せる。その中で最も多く語られているのが軍隊や幹部の整頓である。まさに全党全国が毛沢東・四人組が作り上げた冤罪事件・デッチ上げ事件の被害者を再審理し、無罪としたとき、四人組が軍隊の中で作り上げた数知れぬほどの冤罪事件・デッチ上げ事件に対しては、再審や改正は行われなかった。
 最も憤慨すべきことは、中央の某人が人民解放軍の威信を損なうために、軍隊の国家政治生活における役割を低く評価し、わが軍指導者幹部の政治地位を揺るがし、甚だしきに至っては、四人組と激烈なる闘争を行った元軍主要指導者を、国を災いし民を損なった江、王、張、姚、反革命集団と同時に公判にかけたということである。
 現在まで整党整風運動を行ってきた過程の中で、依然として多くの復員した軍隊の幹部を重点としている。このようなことでは、軍隊の多くの幹部を迫害し、中央のある指導者に対する信任が軍の団結や軍内部の団結に影響を与えることになる。従って、軍隊の戦闘力にも影響を与えるということになる。そして、いまちょうど、米帝が急速に全地球に戦略配置をし、世界平和やわが国の安全をひどく脅かし、積極的に台湾を武装させ、命がけで祖国の平和的統一を妨げている状況のもとで、軍隊幹部を迫害し、軍隊の安定団結を破壊している。実際、これは祖国や人民に対する犯罪行為である。
(「アジア放送研究月報」83年9月号 武谷智訳)





七・七事件47周年


「八・一電台」1984年7月7日放送 


 七・七蘆溝橋事件から既に47年たった。しかし、われわれは日帝がこの日にわが国への侵攻を開始し、侵略戦争を発動したことを永遠に忘れることは出来ない。鬼畜日本が起こした8年間の戦争で、わが3400万同胞は前線で、また後方で飢餓や疾病に陥り、生命を奪われた。いま、ある者がいわゆる中日友好を守るため、われわれに歴史事実、残酷な8年の抗戦、数十年の長さにわたる日帝のわが国に対する軍事・経済侵略を忘れさせよううと企んでいる。
 現在、ある者が「21世紀の中日友好」「両国青年の交流」及び「中日両国人民のいわゆる共同利益」などということを口にしているが、これらの者は目が開いていながら見えていないのと同じである。日本の政治権力者は決して人民ではなく、反人民の反動派であり、日本旧軍国主義の継承者である。彼らはいま、日本当局が軍国主義の復活や大規模な経済拡張政策を行っているのも正視したがらないようだ。
 いま、米帝と緊密に結託している日本軍国主義の軍事力は急速に増しているということは事実が証明している。現在、復活した日本軍国主義が既に無視できない力にまで達しているという事実を一人一人が意識しなければならない。日本軍国主義はアジアやわが国の人民に対しても実際的な脅威である。例えば、日本軍国主義の侵略軍は、わが釣魚島を占領しているのである。さらに、日本当局は海軍が千カイリの海上権を有し、必要な時には海上封鎖をするということを公言している。日本軍国主義の恥知らずの覇権主義計画は、直接わが国の安全に脅威を与えている。
 このほかさらに、日本は資源の乏しい国家であるということも考えねばならない。日本はいちずに、いわゆる生命地域を争って占拠している。軍事手段を使うのみならず、いろいろな経済手段を用いて隣国を制圧し、一方でその自然の富をさらっている。今日、日本の支配集団はわが国の経済に対して影響力を加えている。いま、わが国と日本の貿易額は、わが国の外国貿易総額の25%を占めている。わが国のいくつかの沿岸都市は日本の租借地に変わろうとしている。
 さらに、日本の支配集団は地下資源の実地調査など、わが国保証の特別許可を手にし、得た資源を日本に運んでいる。これらの事実は日本の支配集団がいまだに古い夢を追い求めているということを説明している。われわれはこの危険性を決して軽視できないし、さらに中国人民の歴史的不具戴天の敵、新日本軍国主義のわが国に対する実際的脅威をなおざりには出来ない。わが国の諺に「前のことを忘れなければ、後の戒となる」というのがある。七・七事変47周年に際し、わが国は悲痛な歴史の教訓をさらに肝に命じなければならない。さもないと、祖国と人民の利益に重大な損失をもたらすことになる。
(「アジア放送研究月報」84年8月号 武谷智訳)





盧山会議25周年

       
「八・一電台」1984年7月14日放送 


 25年前、盧山会議で彭徳懐同志は、国を誤り民を損なった極左路線と激烈なる闘争をした。当時、つまり1959年7月14日、彭総は毛主席に著名な意見書を手渡した。彼はこの中で多くの事実を挙げた後、大躍進などの誤った方針が作り出した重大な結果を指摘した。人民を苦難から救うため、彭総は直ちに誤りを正し、八全大会の正しい路線に戻すよう要求した。彭総のこの正しい立場は、彼の親密なる戦友、黄克誠、張聞天、周小舟らの同志の支持を得た。
 今日、これらの歴史事実を思い起こす時、わが軍の指戦員は、わが軍の優秀な代表、彭徳懐、黄克誠ら同志が先ず立ち上がり、人を害した極左路線と激烈なる闘争をし、国家と人民の利益を勇敢に守ったということを自信を持って言うことが出来る。彼らの行動は、わが軍の指導者が軍事問題のみならず、思想や経済問題の処理にも長じ、わが国の対内外政策の重要問題に対して自己の見解を発表し、正しく意見を出し、解決する方法を提出することが出来るということを示している。
 わが軍の指導者を締め出し、彼らに国家の事務の処理をさせない彼の一握りの者はわが党わが軍の伝統に違反し、重大な間違いを犯した。残念なことは25年前、盧山会議で多くの中央の指導者たちが、軍隊の指導者と一緒に極左路線に反対する勇気がなかったということである。特に心痛せしめることは、当時の党中央総書記トウ小平同志が盧山会議の直前、彭徳懐同志に彼の極左路線反対の発言を保証し支持したが、トウ小平同志が毛主席の怒りに触れるのを恐れて、仮病を使って盧山会議に出席しなかったということである。
 もし当時、トウ小平同志が党中央総書記の人望で彭徳懐同志及び彼の戦友を支持していたら、諸悪の根源たる三面紅旗の方針に批判を加え、打倒することが出来、文化大革命を発生させず、国家に損失をもたらさず、人民が犠牲にならずに済んだかもしれない。
 しかし、彭徳懐同志と彼の戦友の盧山会議で極左路線と行った闘争は、トウ小平及びその他の中央の同志の支持を得られず、国家と人民は災難を受けたのだ。われわれは悲痛な歴史の教訓の中から、将来のために正しい結論を出し、敬愛する彭老総を模範とせねばならない。どんな時にでも、誤った方針には勇敢かつ、しっかりした、揺るぎない反対をせねばならない。誤った方針が、たとえ最高権威の提示したものでも、もし国家人民の利益に損害を与えるようなものであれば、断固反対すべきである。
 彭徳懐同志の親密な戦友、わが軍の指導同志、それに全軍の指戦員は、彭老総の教えにしたがい、人民に服務し、死をも恐れぬ気持ちで国家と人民の利益を守らねばならない。
(「アジア放送研究月報」84年8月号 武谷智訳)





子供を救え!

 
「火花台」1983年10月6日放送 


 同志諸君! 青年諸君! 刑法と刑事訴訟法が公布されてから、わが国の宣伝部門は法制問題に関する宣伝教育を全面的に展開し、法があればそれに従い、法を執行するには必ず厳しくあらねばならず、善人を冤罪に陥れてはならず、悪人を放っておいてはならぬことを強調した。死刑執行の問題を持ち出す場合、宣伝上は次のようにいった。
 「死刑は国家が犯罪者に対して取る最も厳しい懲罰手段であり、特に慎重でなければならない。わが国の刑事訴訟法では、死刑案件の判決は一般案件の審理順序による以外に、高級人民法院の再審査、最高人民法院の審査批准を経て、初めて法律的効力を生ずると規定されている。現在、わが国はいまだ死刑を廃止できないし、すべきでもない。しかし、その適用は出来るだけ減らすべきである。死刑を少なくする方針貫徹のため、刑法の死刑に対する適用範囲は厳格に抑えられ、明確に規定されている。死刑は最も悪質な犯罪分子続きにのみ適用される。死刑再審査は、最も悪質なものを死刑に処することだけでなく、無辜の公民や犯罪行為が死刑に値しない者が誤って死刑とされることを防ぐためのものである」
 しかし、この言葉がわれわれの耳を離れもせぬうちに、いたるところで大々的に死刑が行われている。このまま殺人を放置しておくのだろうか。かつて実権派は「刑法と刑事訴訟法の精神は死刑を少なくする方針の貫徹であり、死刑の判決は特に慎重でなければならない」といった。しかし現在、実権派は「重く罰し、早く罰し、懲らしめ処分する方針を実行しなければならず、逮捕すべきは逮捕し、判ずべきは判じ、労働改造すべきは労働改造し、戸籍抹消すべきは戸籍抹消しなければならず、決して手心を加えてはならない」と叫んでいる。このような朝令暮改的やり方は実権派がかつて宣伝した「法律の厳粛性と安定性を保たねばならない」ということになるのだろうか。
 トウ小平集団の言うことと、することが別であるということは人民大衆は、はっきりと分かっている。宣伝上は「政治運動にはしない」といったが、実際は大いに政治運動を行っている。宣伝上は「死刑を少なくする方針を貫徹する」といったが、実際は多くかつ早く死刑にする方針を取っている。このようなやり方で、どうして人民の信用を得ることが出来よう。現在、全国の津々浦々で大衆の宣判大会が行われ、その場で死刑が行われている。数十人、数百人が一度に集団的に殺されている。一組殺しては、また一組。無辜の公民がどれだけ誤って殺されたか。革命の原則を堅持する同志がどれだけ反革命とされたか。民主を勝ち取ろうとした青年がどれだけ逮捕、投獄、戸籍抹消され、労働改造のため辺彊へ送られ、甚だしくは若い人々の生命が犠牲とされたか数知れない。
 毛沢東個人の独裁時代、四人組横行の時期、文化大革命の旗の下、人倫は地に落ちた。現在、トウ、胡、趙集団は犯罪分子を攻撃している。こうした口実の下、全面的かつ強力に人民を捕らえ、殺しておきながら、実権派の鼓吹するところの法治とは一体如何なるものであろうか。それは人民の民主権利を守る法治ではなく、徹頭徹尾の社会ファシスト独裁法治である。この下では、法があってもそれは無くに等しく、人民はさらに災難に遭わねばならない。全党、全国人民は等しく強烈な願いを抱いている。それは健全な民主と法治である。
 第六期全人代第一回会議で黒竜江高級法院院長張厘は「現在もなお、人治を重んじ、法治を軽んずる現象が存在している」と述べ、甘粛省省長陳光毅は「各級の指導幹部は法治観念をとりわけ強めねばならない」と述べた。われわれはかつて、長官の意志を持って法律に代えることを習わしとしてきた。いまは法律を制定、公布し、刑法と刑事訴訟法とを有することとなり、どうなったであろうか。依然として、法があってもこれによらず、人治を重んじて法治を軽んじ、長官の意志をもって法律に代えているのである。
 余りあてになる話ではないが、トウ小平一味がある視察に出かけた際、その途中で、人々が殴り合い、騒いでいるのに出くわした。そこで、これを厳しく罰するよう命じたが、刑法と刑事訴訟法によるのではなく、犯罪を迅速かつ厳重に罰するための二つの決定を行い第六期全人代常務委第二回会議で通過、施行させたという。これは人治を重んじて法治を重んじず、長官の意志をもって法律に代え、他人の意見を容れず、家長が家を治めるという態度の具体的現れである。トウ小平文選学習運動は、トウ小平がまたもや個人崇拝を大いに行い、家長が家を治めるという態度を大いに行おうとしていることの確かな証拠である。こうした状況の下で、民主と法治が本当に行えるのだろうか。過去と同じく、新しい憲法、法律は統治集団が公民の権利を破壊し、人民を欺くための、己の恥を覆い隠す布となっている。
 同志諸君! 青年諸君! いま、全国各地で死刑が行われており、殺され、懲役に処され、戸籍を抹消され、労働改造のため辺彊へ送られている者は、大多数が青少年である。従って、青少年はいまや犠牲の世代と相成り、トウ、胡、趙集団は、いまや全国青少年の討たずばやまぬ仇敵と相成った。ここでわれわれは魯迅の言葉を引用して、このスローガンを発する。「子供達を救え!」 
(「アジア放送研究月報」83年12月号 西田邦浩訳)





トウ小平はかつて何といったか


「無産者戦闘師」1984年1月2日放送 

 
 同志諸君! 1979年3月25日、北京の地下活動家、魏京生は雑誌「探索」の中の「民主が要るのか、それとも新しい独裁が要るのか」という論文の中で、「トウ小平は民主を必要としているか」という問題を取り上げた。この魏京生の文章が指摘しているように、トウ小平は75年に復職した後、「人民の利益を重点に据なければならない」といっているし、彼がまだ奪権していないとき、彼は思想の解放、民主の発揚に関する談話も発表した。ここで過去にトウ小平が公民の権利の問題についてどのようににいったか、ということを一緒に振り返ってみよう。
 1978年11月28日の北京発の新華社の情報によると、トウ小平副総理は26日午後、日本の佐々木良策民社党委員長が出した「中国国内の情勢に関する問題」について談話を発表した。壁新聞問題を評論することに関し、トウ小平副総理は「これは正常な現象であり、わが国の情勢が平穏である一種の表現である」と指摘した。また、「壁新聞を張ることは、わが国の憲法で許されていることだ。われわれは大衆が民主を発揚し、壁新聞を張り出すことを否定したり、批判したりする権利はない。文化大革命という鍛錬を通じ、わが国の大衆は物事の良し悪しを見分ける能力を身に付け、国家の運命に関心を持つ自覚が出来た。これは大したことである。広範な大衆は安定団結を要求しており、大勢に万全を期している」と述べている。
 1978年11月26日夜、トウ小平は胡耀邦の付添いの下で、北京地質学院、北京大学、清華大学、航空学院などで壁新聞を参観し、各校の教師、学生と壁新聞の掲示や民主の法制などの問題を話し合った。トウ小平は北京の地質学院の教師、学生に答えて、「工場、機関、学校、農村、人民公社のどの分野であろうと壁新聞の威力を十分に発揮させねばならない。党の各級指導者は大衆が壁新聞を張り出すことを励まし、支持している。決して弾圧しないし、壁新聞で批判する人に対し攻撃したり、報復するのは絶対に許さない。もしも、そのようなことが起きたら、きっと厳重に処罰されるはずなので、君達は党中央に直訴したり、私に手紙を書いてもよい。そうすれば、きっとすぐに処するようにしよう。みんな安心してほしい。私は憲法がすべての公民に与える権利をきっと実現することを君達に保証しよう」といった。
 トウ小平は過去に「大衆が壁新聞を張るのを励まし、支持し、決して弾圧を加えたり、打撃、報復をしてはならない」といった。しかしいま、トウ小平の保証は実現したか? 実現してないばかりか、壁新聞を書き、批判した人に対して、弾圧、打撃、報復を行っている。党の第十一次五中全会の決議の中でも、憲法第45条中の「公民が四大民主、すなわち、大鳴、大放、大字報、大弁論を運用する権利を持つ」ことに関する規定を取り消すことを決定した。
 これこそが魏京生の指摘した「トウ小平は民主を必要としているか」ということなのだ。不要なのだ。彼は野心家で、その集団によって占有された権利を人民に奪われることを望んでいない。人民に広く展開した中国民衆権利の運動に対して、彼は弾圧という手段を取った。このことは彼が人民の運動を非常に恐れているということを物語っている。1979年7月20日、北京のある人が「トウ小平はかつて何をいったか」という論評を出た。トウ小平は「人民が壁新聞で討論を展開し、壁新聞で問題を解決するのは必要なことだ」といつた。しかし、壁新聞が民主の壁を探索し、人権を要求し始めたとき、トウ小平はこれを阻止し、民主の壁の壁新聞が国家機密を漏らすと警告したり、各地の公安局に民主運動を弾圧するよう命令している。人民は壁新聞で大衆に呼び掛ける権利を失ってしまった。民主の壁事件を振り返ってみると、民主運動が弾圧を受けたというのは皆、トウ小平一派の仕組んだものだったことが分かる。
 同志諸君!トウ小平の過去の言論とそれ以後の実践を調べてみると、現在のトウ小平文選学習に対し、非常に現実的な意義があり、教育の作用もある。人民や幹部は、それでもなおトウ小平を信じることが出来るだろうか。トウ小平文選というものが目前の整党や四つの現代化建設の前途に対して、なおどんな正しい意義があるのだろうか。 
(「アジア放送研究月報」84年2月号 武谷智訳)





小米加歩槍


「解放軍之声」1983年12月4日放送 


 全国の軍、幹部、大衆同志諸君! われわれが台湾の国民党当局に対して「三通四留」「九つの建議」(注1)を打ち出し、台湾の厳しい拒絶にあって以来、われわれはずっと良い方法を考え出せなかった。それどころか、香港問題でわれわれは焦りを見せたため、香港のあらゆる資本家と、われわれを喜ばぬ香港同胞をxxさせることとなった。これは自分の首を絞める愚かなやり方であり、国際上及び海外華僑社会の中での台湾の勢いをさらに大きくすることとなってしまった。
 人は皆、「香港人民さえ、共産党の統治を受けることを望んでいない」といっている。また、どうして台湾人民がわれわれを嫌うのを責められよう。敵と統一戦線を組むことはスケートと同じである。歩調が一たび乱れれば、前へ進まず、後ろへ転ぶ。われわれは既に指導的地位を失い、あちこちで国民党が音頭を取っていることを、いまわれわれははっきりと感じている。われわれがこの見方を打ち出すのは、少なくとも次の二つの点によるものである。
 第一点は、国民党がわれわれに圧力を加えていることである。彼らは、わが軍、幹部、大衆が共産主義の社会制度に対して疑念、失望を抱き、党の指導に対して完全に信用をなくす機会をxxするや否や、「三民主義で中国を統一する」という主張を打ち出した。党の各級指導者は頭を抱え、人民は喜び、救世主がもうすぐやってくると考えた。この現象に対して、わが党中央は主要な責任を負わなければならない。
 われわれは過去数年間、台湾と統一戦線を組むために慌てる必要はなかった。台湾の近代的な工業製品が大量に流れ込み、人々の変転思想を鼓舞することとなってしまった。国民党には実は方法があり、三民主義はやはり共産主義より良いのだという観念は、既に広範な軍、幹部、大衆の頭にしみつき、永遠に消え去らないといえよう。これが「共産主義渺茫論」の根源である。党中央は、このような間違った主義を引っ張り出した張本人が誰か、徹底的に捜し出すべきである。
 第二点は、わが党に人材がいないことである。過去に「小米加歩槍」(注2)で国民党と戦い、国民党が敗れたものだから、われわれは得意になって「小米加歩槍」が国民党を負かしたと思っている。実はそのことだけでない。もし、われわれが抗戦勝利の後、機会を利用して、社会混乱を起こし、さらにソ連がわれわれの背後で増援し、彼らの手から東北を占領しなかったなら、われわれは勝利できなかった。毛主席とトウ小平同志は日本人に礼をいったことがあるだろうか。もし、日本の皇軍が出兵し、中国を侵略しなかったならば党中央は永遠に延安を出られなかったかもしれない。事実を認めないことは、自らを欺き、人を欺くことである。一つの偉大な党は、真理にに対して頭を下げる勇気を備えていなければならない。
 「小米加歩槍」が国民党を破ったという観念は科学的でなく理知的でもない。今日までずっとわが各級指導同志は未だそれを事実と信じ、また過去に「小米加歩槍」で国民党を破ることが出来と信じていたため、いまも得意満面に、石頭を抑えられるペテンと口一杯のホラが国民党を倒すことが出来ると思っている。そして、他の方法と理由をまったく考えていない。二年前、誰がこの年を辛亥革命七十周年とすると考え及んだであろう。いま思うに、自らやっておいて恥しくなる決定である。
 われわれは辛亥革命が国民党創始者孫中山先生の指導したものであることを知っている。われわれは抗戦さえ国民党が指導したものであると認めていない。いま、国民党が「三民主義で中国を統一する」という主張を打ち出したのは、われわれが辛亥革命を記念したことに影響を受けたからだと思われる。彼らはこう思っているに違いない。「君ら共産党は辛亥革命の記念を行った。辛亥革命は孫中山先生が指導したものだ。われわれはいま、孫中山先生発明の三民主義で中国の統一を行うことを打ち出した。民主主義の観念下では、当然、君らの外国から入ってきたマルクス・レーニン主義よりxxだ」。
 事実、われわれは何も言えない。われわれ自身は既に「共産主義渺茫論」があり、「三信危機」があることを認めている。そして、台湾には「三民主義渺茫論」「三信危機」があるとは言えない。われわれはいま、近年台湾に「三民主義渺茫論」があるといった嘘は言えない。またどうして、われわれの「三通四留」「九つの建議」を相手にしない国民党を責められよう。
 塀はいつしか倒れ、家はいつしか倒れ、蟻は住むことが出来なくなる。われわれ自身が憤らねば、実は他人に顔向けが出来ないのである。
(注1)1981年9月30日付けの葉剣英談話を指す
(注2)質素な食料と粗末な武器        
(「アジア放送研究月報」84年2月号 山中明、西田邦浩訳)





決していつまでも平穏無事ではない

       
「紅旗広播電台」1986年4月8日放送 


 先ず皆さんに現指導者のxxを聞いていただきたい。ある指導者いわく、「われわれの改革が資本主義にまで行ってしまうのではないかと心配している人がいるが、それは肯定できない。われわれの政策が階級分化にまで至ったなら、それは失敗だ。もし、新しいブルジョワジーを生むことになったなら、われわれはxxしたことになる。現行の政策は、一部の人が先に豊かになることを許しているが、新しいブルジョワジーや大富豪が生まれ続きることはあり得ない」と。ある指導者いわく、「農村で階級分化が起こるかもしれないと心配している人がいるが、私は心配無用だと思う」と。しかし、事実が証明するように、その心配無用の筈の事態が遂に起こった。農村だけでなく、都市でもたくさん起こっている。
 ここで尋ねたい。十数台ものトラックを有する運送屋の主人は、資本家と考えるのかそうでないのか。大型のトラクター、トラック、「収割機」を十数台有する者は、資本家と考えるのかそうでないのか。工場、農場、商店を網羅した巨大なトラスト、農工商業連合体を有する者は、資本家と考えるのかそうでないのか。機械化なった近代的な工場を有する者は、資本家と考えるのかそうでないのか。500余人の炭鉱xxx隊を有する者は、資本家と考えるのかそうでないのか。すべて資本家と考えるべきである。すべて正真正銘の資本家である。
 これら正真正銘の資本家は、その所有する固定資産と流動資金は少ないもので70万元、多い者は200万余元。雇っている労働者は少ないもので10人、多いものは500余人にも達する。彼らの資産のうちには、自らの肉体労働、頭脳労働によって得たものは一つもない。彼らは典型的な搾取者である。そして彼らに雇われている労働者は典型的な被搾取者である。社会には搾取者と被搾取者が出現した。
 冒頭で紹介したその指導者は「われわれの政策が階級分化にまで至ったなら、新しいブルジョアジーを生むことになったなら、われわれはxxしたことになる」と述べた。搾取階級と被搾取階級とが復活すれば、闘争を免れることは出来ない。いま中国の社会に大きな動乱も起こっておらず、平穏無事であるかもしれない。しかし、決していつまでも平穏無事ではないであろう。
(「アジア放送研究月報」86年5月号 西田邦浩訳)





真の主人公の座を勝ち取ろう


「中国人民之声」1983年1月1日放送 


 北京日報の報道によると、北京市人民政府は最近、合同工(注1)の待遇を落とすことを決定した。本放送局の論説員は次のように指摘している。
 合同工とはいえ、労働者階級であり、生産事業の主人である。現在の政治制度では、固定工(注2)でさえも生産事業の主人たる権利を享受してはいない。合同工もやはり中華人民共和国の公民であるのに、事業においては固定工と差別されている。公明かつ先進的な共産党もこの差別を認めていることは、共産党が労働者階級の真の代表ではないことを証明している。このほど、合同工と固定工との差別待遇に反対して、広範な労働者階級が決起した。ポーランドの労働者と同じように労働組合を結成し、生産事業の真の主人の座を勝ち取ろう。
(注1)臨時工
(注2)常雇工
(「アジア放送研究月報」83年2月号 山中明訳)





共産党を打ち倒そう

 
「民主広播電台」1989年8月21日放送 


 中国共産党は労働者階級を代表する党である。多くの労働者、農民の支持によって共産党は国民党政府を打倒し、政権を奪い取ることができたのだ。だから憲法の中で、我が国は労働者階級が指導する労働同盟によって基本的な人民民主を独裁すると規定しているのだ。しかし中国共産党が政権を取った後、独裁専制の本性を暴露したのである。政治においては、所謂社会主義民主とはまったくの嘘であり、人民にはまったくといっていいほど、民主の権利が与えられていない。社会主義建設や四つの現代化等のスローガンもすべて嘘である。人民の生活はまったく改善されず、改革開放政策の速度を速めてからは、労働者の地位はますます低くなり、生活条件も悪くなっている。給料は上がらず、それに比べ物価だけが上がっていくのだから、生活水準は徐々に下降していくに決まっている。その上、ここ数年「官倒」という問題も起きている。今こそ我々は共産党を打ち倒さなければならないのである。
(「アジア放送研究月報」89年10月号 日向勇美訳)




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