中華人民共和国各放送局略史

(4)建国初期《省級、地区・市級−−東北地区》

◎東北地区 
    放送局名                 簡 史            
瀋陽人民広播電台  
          
          
          
          
          
          
1945.9   瀋陽広播電台放送開始。後に停波。     
1948.11.4  瀋陽新華広播電台と改称して放送開始。後に停
       波。                   
1949.3.1  放送再開。                
1949.5.1  瀋陽人民広播電台と改称。         
1949.9.10  停波                   
1950.4.   放送再開。                
旅大人民広播電台  
          
          
          
          
          
          
1946.1.   大連広播電台放送開始。          
1947    関東広播電台と改称。           
1949    大連新華広播電台、更に大連人民広播電台と改
       称。                    
1949    旅大行署区設置により同行署区の局となる。 
1950    行署区廃止、旅大市設置により、旅大人民広播
       電台と改称。                
鞍山人民広播電台  
          
          
          
1945.10.24 鞍山広播電台放送開始。          
1945 末  鞍山新華広播電台と改称。後に停波。    
1949.3.   放送再開。                
1949.5.1  鞍山人民広播電台と改称。         
撫順人民広播電台  
          
          
          
1946 春  撫順市人民政府広播電台放送開始。     
1949.5.   撫順人民広播電台と改称。         
1950.    新放送局を建設。             
1950.6.1  正式放送開始。              
本渓人民広播電台  
          
          
          
          
1945.9.28  本渓新華広播電台放送開始。        
1946.1.1  遼東軍区広播電台と改称。         
1946.5.   安東新華広播電台へ編入。         
1950.6.   営口人民広播電台の廃止により、人員・設備は
      本渓へ移転し新局を建設。          
長春人民広播電台  
          
          
          
          
          
1945.9.10  長春広播電台放送開始。後に停波。     
1948.10.21 再開                   
1949.5.1  長春人民広播電台と改称。         
1954.9.5  吉林人民広播電台が長春へ移動し、吉林台・長
      春台は同一組織となる。対外的には長春人民広播
      電台の名で放送。              
哈爾浜人民広播電台 
          
          
          
          
          
          
          
          
          
1945.8.20  哈爾浜広播電台放送開始。後に停波。    
1947.4.   放送局再建。               
1947.5.28  哈爾浜新華広播電台と改称。        
1949.5.1  哈爾浜人民広播電台と改称。        
1949.11.28 牡丹江人民広播電台を合併。        
1950.6.   松江省向けの第一台と哈爾浜市向けの第二台に
      分けて放送開始。              
1951.3.15  松江人民広播電台、哈爾浜人民広播電台に分離
1954.8.   松江省と黒竜江省が合併し新たに黒竜江省とな
     る。哈爾浜台は新たな黒竜江台と同一組織。  
遼東人民広播電台  
          
          
          
1945.11.  安東新華広播電台放送開始。        
1949.4.   安東人民広播電台と改称。         
1951.3.25  遼東人民広播電台と改称。         
1954.    遼東省廃止により放送停止。        
遼西人民広播電台  
          
          
          
          
          
1948.12.  錦州新華広播電台放送開始。        
1949.5.1  錦州人民広播電台と改称。         
1949.7.   四平台を合併。              
1951.4.1  遼西人民広播電台と改称。         
1954.    遼西・遼東両省合併(新たに遼寧省設置)後、
      新たに錦州人民広播電台を設置。       
遼寧人民広播電台  
          
1954.9.1  瀋陽にて放送開始。東北人民広播電台を基礎に
      遼東・遼西台の一部メンバーを加えて発足。  
営口人民広播電台  
          
          
          
1949.4.15  営口新華広播電台放送開始。後に営口人民広播
      電台と改称。                
1950.6.   廃局となり、人員・設備は本渓へ移り、本渓人
      民広播電台を建設。             
安東人民広播電台   1954.9.1  放送開始。                
錦州人民広播電台   1954.9.   放送開始。                
吉林人民広播電台  
          
          
          
          
          
          
1945.11.21 吉林市にて吉林広播電台放送開始。     
1946.2.   吉林新華広播電台と改称。後に停波。    
1948.3.18  再建                   
1949.5.1  吉林人民広播電台と改称。         
1954.9.5  省都が長春へ移転し、吉林台も長春へ移転。長
      春台と同一組織となる。           
                           
吉林市人民広播電台 
          
          
1954.9.12  放送開始。吉林台の長春移転後に残った人員で
      発足。                   
                           
延辺人民広播電台  
          
          
          
1946.7.   延吉新華広播電台放送開始。        
1949.5.1  延吉人民広播電台と改称。         
1951.4.   延辺人民広播電台と改称。         
                           
牡丹江人民広播電台 
          
          
          
          
1947.8.15  牡丹江広播電台放送開始。         
1948.9.15  牡丹江新華広播電台と改称。        
1949.5.1  牡丹江人民広播電台と改称。        
1949.11.28 廃局となり、哈爾浜人民広播電台へ合併。  
                           
斉斉哈爾人民広播電台
          
          
          
          
          
          
          
          
1946.5.1  斉斉哈爾広播電台放送開始。        
1946.6.   斉斉哈爾新華広播電台と改称。程なく、西満新
      華広播電台と改称。             
1947.10.  斉斉哈爾新華広播電台と改称。       
1949.5.1  斉斉哈爾人民広播電台と改称。       
1951.3.20  黒竜江人民広播電台と改称。        
1954.8.1  黒竜江省省都が哈爾浜へ移った後、斉斉哈爾人
      民広播電台は市の放送局として放送。     
                           
黒竜江人民広播電台 
     (斉斉哈爾)
          
          
1951.3.20  斉斉哈爾にて放送開始。          
1954.8.   黒竜江台・松江台が合併し、新たに黒竜江人民
      広播電台となる。              
                           
松江人民広播電台  
          
          
          
1951.3.15  哈爾浜にて放送開始。           
1954.8.1  松江台・黒竜江台が合併し、新たに黒竜江人民
      広播電台が哈爾浜にて放送開始。       
                           
黒竜江人民広播電台 
      (哈爾浜)
          
1954.8.1  哈爾浜にて放送開始。           
                           
                           
熱河人民広播電台  
          
          
          
          
          
          
          
          
          
          
1946.5.   承徳新華広播電台放送開始。後に停波。斉斉哈
      爾へ移転。                 
1947    中京冀察熱遼中央分局は、承徳台の人員に対し
      赤峰へ移動して「冀察熱遼新華広播電台」を建設
      するよう決定。               
1948.11.  命により承徳へ戻り熱河省台を建設。    
1949.8.15  承徳人民広播電台放送開始。        
1951.1.15  熱河人民広播電台と改称。         
1955.12.  熱河省の廃止により放送停止。人員は河北・内
      蒙古台へ移り、局は河北台の転播台となる。  
                           
 東北地区は22局がリストされている。現在は黒竜江・遼寧・吉林三省になっているこの地区の行政区画は次の様に変遷して来た。

図が見にくくなるのを避けるため、直轄市から省轄市への格下げと他省への編入の矢印は省略。【 】内は省都。1945年9月・1949年4月・1954年の三回に亘り大規模な変更が行なわれている。

        1945.9      1949.4         1954
熱河省【承徳】------------------------------------------------1956河北・内蒙古
遼寧省【瀋陽】--+-------+--------+--遼西省【錦州】--------遼寧省【瀋陽】------
        |    |    +--旅大  --旅大直轄市--省轄市に
        |    |    |  行署区  1950.12
        |    |    +--鞍山直轄市------------省轄市に
        |    |    +--撫順直轄市------------省轄市に
        |    |    +--本渓直轄市------------省轄市に
        |    +-1947.6瀋陽直轄市----------------省轄市に
        +-安東省【通化】----遼東省【安東】--------吉林・遼寧へ編入
        +-遼北省【遼源県】--遼東・遼西・黒竜江・内蒙古へ編入

吉林省    ---+-----------------------+-----------------【長春】------------
【1945.9吉林市】|             +-1953長春直轄市--省轄市に
        +-松江省【牡丹江】--【哈爾浜】------------黒竜江へ編入
        +-合江省【佳木斯】--松江へ編入

黒竜江省   ---+-------------------【斉斉哈爾】----------【哈爾浜】----------
【1945.9北安県】+-興安省─1947.5内蒙古へ編入
        | 【海拉爾】
        +-嫩江省   ------松江・黒竜江へ編入
        | 【斉斉哈爾】
        +-哈爾浜直轄市------省轄市----1953直轄市--省轄市に

 東北地区には遼寧・吉林・黒竜江・熱河の4省が置かれていた。この内、熱河を除ク3省は1945年9月に哈爾浜直轄市と9省に分割された。その後、何回かの変更が加えられ、現在の省域となっている。放送局もこうした行政区画の変遷により、複雑な経緯をたどった。旧遼寧省は、東北地区の中心だけあって放送局数が最も多い。省都瀋陽の他、通化・営口・本渓・鞍山・安東・大連・撫順などに放送局が開局し、瀋陽台は1948年に東北台(総台)となった(通化・四平は現在は吉林省であるが、かつては遼寧省)。
 新設の安東省(省都は通化)には通化台と安東台があり、後に通化台は臨江→海竜(現在の梅河口)へ移転。1948年春、海竜台の通化分台が設置された。しかし11月に海竜台は廃止され、施設と人員は遼北省の四平台建設に充てられた。残った通化台も1949年8月に廃止され、安東台に合流した。
 安東台は先に1946年5月、本渓台を統合している。本渓台(46年1月から「遼東軍区新華広播電台」)は3月から安東に近い鳳城へ移転して放送を続けていた。その後1949年に本渓市が直轄市に格上げされたため、翌年本渓台が再建。代わりに営口台が廃局となっている。
 安東台はその後、遼東台と名を変え、1954年の遼東省廃止と共に廃局。四平台は1949年遼北省廃止により、新設の遼西省の錦州台(1948年12月開局)へ編入される。錦州台は遼西台と改称された後、1954年の遼西省廃止と共に放送中止。
 1954年の行政区画変更では遼寧省が再置される一方、東北行政区も廃止されたため、新設の遼寧台には遼東台・遼西台と東北台の人員が合流する一方、新たに市台として錦州台・安東台が設置された(安東市は1965年に丹東市と改称)。
 旧黒竜江省・吉林省では先ず哈爾浜・長春・吉林市が開局。少々遅れて斉斉哈爾・牡丹江が開局した。哈爾浜台は東北台建設のため一旦移転してしまうが、1947年に再建。翌年初めから冬まで東北台が瀋陽から移転して来たためその間放送を中止した。
 1949年の行政区画変更で哈爾浜直轄市は松江省に編入され省都となったため、松江省の牡丹江台は哈爾浜台へ統合。嫩江省も松江・黒竜江両省へ編入され、斉斉哈爾は黒竜江省の省都となった。これにより斉斉哈爾台は黒竜江台と改称。1954年には松江・黒竜江両省が合併し新たに黒竜江省を設置され、哈爾浜で黒竜江台の放送が始まると同時に、斉斉哈爾台は市台となった。
 吉林台は1946年5月、国共内戦が激化したため延吉へ移転し、正式な放送に至っていなかった延吉台と合流。延吉新華広播電台として放送を続けた。当時、延吉県は松江省の所属で、松江省の牡丹江には放送局がなく、牡丹江台の放送開始は1947年8月の事である。吉林台は翌48年3月に再建された。延吉台はその後も放送を続け、1948年11月に延辺台と改称した(延辺朝鮮族自治区の設置は1952年)。
 1954年に省都が長春に変更されると同時に吉林台も移転。長春台が吉林台となる一方、元の吉林台は吉林市台として放送を続けた。
 一方、熱河省の承徳新華広播電台は1946年8月下旬、戦火を避けて移動を開始。承徳から隆化→囲場県→赤峰→林西県と移転を重ねた。機器の損傷が激しい上、夜の明かりの灯油・蝋燭にも事欠く有様で、1947年1月には斉斉哈爾の西満新華広播電台(斉斉哈爾新華広播電台が1946年7月15日より西満軍区の指導下となったため改称したもの)に一時合流し、幹部養成や機器修繕を行なった。翌47年9月、赤峰に戻り冀察熱遼新華広播電台を建設。試験放送の段階で1948年4月、赤峰が国民党の爆撃を受けてしまった。重要な設備は郊区へ移して保存したが、5月には放送中止。その年の11月、漸く承徳へ戻って局を再建した。

(西田邦浩)


本稿は「アジア放送研究月報」に掲載されたものを再録しました。

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