中華人民共和国各放送局略史−−『中国新聞年鑑1990』『中国広播電視年鑑1991』より
(1)解放区の放送局
『中国新聞年鑑1990』及び『中国広播電視年鑑1991』に“解放前我国解放区広播電台簡介”“中華人民共和国初期人民広播電台簡史”という一連の記事が掲載されている。これらの記事に目を通された向きも多いとは思われるが、各放送局の略史を整理する意味で、両記事の要点をまとめてみることにした。尚、他の文献・記事との記述内容の相異については、原則として触れなかった。
以下の表は、『中国新聞年鑑1990』所載“解放前我国解放区広播電台簡介”の記述内容を当方で整理したもので、開設の簡単な経緯・放送開始(試験放送は割愛)・放送停止・局名変更・局の移転に項目を絞り、その他(管理指導関係等)は省略した。
「解放区」には編者(北京広播学院《中国解放区広播史》編写組)によると46の放送局が存在した。その殆どは建国後の放送局に引き継がれており、“簡介”と“中華人民共和国初期人民広播電台簡史”とに重なって登場する局は数多い。この二つ記事で記述内容に違いがあるものも散見されるものの、今回は繁雑を避けるため、特に指摘しなかった。
尚、【 】内は筆者の注である。
《中央局》
放送局名 |
簡 史 |
延安新華広播電台 |
1940.12.30 延安新華広播電台( コールサイン XNCR)放送開始。 1943年 放送停止。 1945.8中旬 放送再開。 1947.3中旬 瓦窯堡(陝西省子長県)へ移転。 1947.3.21 陝北新華広播電台と改称。 1947.3. 末 晋冀魯豫解放区の渉県へ移転。 1948.5下旬 晋察冀解放区の平山県へ移転。 1949.3.25 北平へ移転し北平新華広播電台と改称。全国向 けの中央局となる。 1949.9.1 北平新華広播電台第一台と改称。 1949.9.27 北京新華広播電台第一台と改称。 1949.12.5 中央人民広播電台と改称。 |
放送局名 |
簡 史 |
張家口新華広播電台 |
1945.8下旬 「蒙疆放送局」と寧遠発射台を接収。 1945.8.24 放送開始。コールサイン XGNC(当初は XGCA)。 1946.10.10 国民党軍の進攻により、張家口を離れる。 1946.10.末 阜平県へ移動し新放送局建設を開始。 1947.5.1 晋察冀新華広播電台放送開始。 1948.5. 陝北新華広播電台へ編入。 |
邯鄲新華広播電台 |
1946 初 建設開始。 1946.9.1 河北省渉県沙河村で放送開始(コールサイン XGHT) 。 1947.3. 陝北新華広播電台の放送を引き継ぐ。 1948 冬 自局制作は中止。陝北台の転播台となる。 |
張家口人民広播電台 |
1948.12. 国民党の察哈爾広播電台を接収し張家口新華広 播電台を再建。 1948.12.24 放送開始。 1949.5.1 張家口人民広播電台と改称。察哈爾全省向けの 第二台を増設。 1950.11.30 第二台は察哈爾人民広播電台、第一台は張家口 人民広播電台と改称。 1951.4. 張家口人民広播電台は放送を中止し察哈爾台に 合併。 1952.12.6 察哈爾省廃止により放送中止。 |
唐山新華広播電台 |
1948.12.13 国民党の唐山広播電台を接収し放送開始。 1949.7.2 唐山人民広播電台と改称。 |
天津新華広播電台 |
1949.1.15 国民党の放送局を接収し放送開始。 1949.5.18 天津人民広播電台と改称。 |
北平新華広播電台 |
1949.2.2 国民党の北平広播電台を接収し、北平市向けに 放送開始。 1949.3.25 陝北新華広播電台が北平へ移転し北平新華広播 電台と改称。元の北平新華広播電台は北平人民広 播電台と改称し北平市向けに放送(北平新華広播 電台の一部門となる)。 1949.9.1 北平新華広播電台第二台と改称。 1949.9.27 北京新華広播電台第二台と改称。 1949.12.5 北京市人民広播電台と改称。 1951.3.11 北京人民広播電台と改称。 |
太原新華広播電台 |
1949.4.25 国民党の太原広播電台を接収し放送開始。 1949.6.1 太原人民広播電台と改称。 1950.12.20 山西人民広播電台と改称。 |
保定人民広播電台 |
1949.5 保定に放送局の建設が決定さる。 1949.9.1 保定人民広播電台放送開始。 1951.4.1 河北人民広播電台と改称。 |
包頭新華広播電台 |
1948.11 国民党の放送局を接収し放送開始。 1948 末 人民解放軍が包頭を離れ、放送停止。 1949.9.19 綏遠地区の平和的解放後、包頭人民広播電台が 放送再開。 |
放送局名 |
簡 史 |
東北新華広播電台 |
1946.5下旬 哈爾浜広播電台を佳木斯へ移動し、東北新華広 播電台を建設することが決定さる。 1946.9.23 放送開始。コールサイン XNMR 。 1948.2. 哈爾浜へ移転。 1948.5.28 放送開始。 1948.7. 東北解放区の「総台」となる。 1948.12.25 瀋陽へ移転。 1949.5.1 瀋陽新華広播電台と改称。 1949.9.10 瀋陽人民広播電台と改称。 1950.4.15 東北人民広播電台と改称。 |
哈爾浜新華広播電台 |
1945.8. 「哈爾浜放送局」を接収。 1945.8.20 哈爾浜広播電台放送開始。 1946.3. ソ連軍が哈爾浜を離れ、放送停止。 1946.4.28 民主聯軍の哈爾浜進駐後、放送再開。 1946.5下旬 佳木斯へ移動し東北新華広播電台を建設。 1947 初 哈爾浜広播電台再建が決定さる。 1947.4.20 放送開始。 1947.5.28 哈爾浜新華広播電台と改称。 1948 初 東北新華広播電台が哈爾浜へ移転した後、放送 停止。 1948 冬 東北新華広播電台が瀋陽へ移転した後、放送 再開。 1949.5.1 哈爾浜人民広播電台と改称。 1949.11.28 牡丹江人民広播電台を合併。 |
斉斉哈爾新華広播電台 |
1946.4 国民党の放送局を接収し、斉斉哈爾広播電台を 建設。 1946.5.1 放送開始。 1946.6上旬 斉斉哈爾新華広播電台と改称。 1946.7. 西満新華広播電台と改称。コールサイン XNTR 1947.10. 中共西満分局の廃止により、斉斉哈爾新華広播 電台(コールサインXNWR)と改称。 1949.5.11 斉斉哈爾人民広播電台と改称。 |
牡丹江新華広播電台 |
1947.5 放送局の建設が決定。 1947.8.15 牡丹江広播電台放送開始。コールサイン CMMR 1948.8.15 牡丹江新華広播電台と改称。 1949.5.1 牡丹江人民広播電台と改称。 |
長春人民広播電台 |
1945.9.10 「新京放送総局」を接収し、長春広播電台を建 設。 1945.9.10 放送開始。コールサイン XNCM 1945.12 初 民主聯軍が撤退し、ソ連軍に移管。ソ連軍の撤 退後、局は国民党の管理となる。 1946.4.24 国民党の長春広播電台を接収し、放送再開。 1946.5.22 民主聯軍が長春を撤退し、放送停止。 1948.10.21 放送再開。 1949.5.1 長春人民広播電台と改称。 |
吉林人民広播電台 |
1945.10. ソ連軍から「吉林放送局」を接収し、吉林広播 電台を建設。 1945.11.21 放送開始。 1946.2. 吉林新華広播電台と改称。後に停波。 1946.5.27 国民党軍の吉林市進攻で放送を停止し、延吉市 へ移転。延吉広播電台のメンバーと共に、延吉新 華広播電台を建設。 1948.3 国民党の放送局を接収。 1948.3.18 放送再開。コールサイン XNKR 1949.5.1 吉林人民広播電台と改称。 |
延吉新華広播電台 |
1946.4 ソ連軍から「延吉放送局」を接収し延吉広播電 台を建設したが、電力不足から正常な放送に至ら ず。 1946.6 吉林新華広播電台の移転により、共同で延吉新 華広播電台を建設。 1946.7.1 放送開始。コールサイン XHYR 1948.11 初 延辺人民広播電台と改称。 |
通化新華広播電台 |
1945.9.24 「通化放送局」を接収し通化広播電台放送開始 (正式局名は冀熱遼行署通化専員公署通化広播電 台)。コールサイン XTHR 1946.1 通化新華広播電台と改称。 1946.5 国民党軍の進攻により、通化台は臨江鎮へ移転 して分台を建設することが決定さる。 1946.7末 通化新華広播電台臨江分台放送開始。 1946.10 末 臨江新華広播電台と改称。 程なく、国民党軍の進攻により、設備は朝鮮・ 中江鎮へ移動して保存さる。 1947.5. 臨江鎮で放送局再建。 1947.7.1 臨江新華広播電台放送再開。コールサイン XLCR 1947.10 上旬 海竜鎮へ移動し放送局を建設することが決定 さる。 1948.1.1( 一説に1947.11)海竜新華広播電台放送開始。 コールサイン XHLR 後に、通化市の通化新華広播電台旧址に海竜新 華広播電台通化分台を設置し、5 月から陝北台と 海竜台の中継を始める。 1948.8【1949.8の誤り】通化分台は廃止され、設備・メンバ ーは安東台に移さる。 1948.11 海竜台は廃止され、設備・メンバーは四平へ移 動。 |
四平新華広播電台 |
1948 秋 海竜台の廃止と四平台の建設が決定さる。 1948.12 初 放送開始。 コールサイン XNHR 1949.5. 四平人民広播電台と改称。 1949.7. 遼北省・遼西省の合併により、四平台は錦州へ 移転し錦州台と合併。 |
瀋陽新華広播電台 |
1945.8.17 中共地下党組織が「奉天放送局」内に「瀋陽広 播電台維持会」を結成。瀋陽広播電台として放送 開始。 1945.8.21 ソ連軍の管理となり、番組停止。 1945.9 初 東北抗日聯軍瀋陽地区工作組が接収。 1945.9.6 冀熱遼軍区16軍分区が接収。瀋陽広播電台とし て放送継続。 1945.11 下旬 ソ連軍の管理となる。 1946.4. 国民党中央広播事業管理処が接収。 1948.11.4 国民党瀋陽広播電台を接収し、瀋陽新華広播電 台と改称して放送開始。 1948.12.15 東北総台が瀋陽へ移動し瀋陽台と合併。瀋陽台 は放送停止。 1949.3.1 放送再開。 1949.5.1 瀋陽人民広播電台と改称。 1949.9.10 放送停止。 |
営口新華広播電台 |
1945.10.20 国民党の営口広播電台を接収し、局名は営口広 播電台のまま放送継続。 1946.3. 国民党軍の進攻により、設備は他所へ移転。 1948.5. 局再建に着手。 1949.4.15 営口新華広播電台として放送再開。 1949.9 営口人民広播電台と改称。 |
本渓新華広播電台 |
1945.9. 「本渓湖放送局」を接収。 1945.9.28 本渓新華広播電台放送開始。 1946.1.1 東北民主聯軍遼東軍区が成立し、遼東軍区新華 広播電台と改称。 1946.3. 国民党軍の進攻により、鳳城へ移転して放送。 1946.5. 安東新華広播電台へ編入。 |
鞍山新華広播電台 |
1945.10. 「鞍山放送局」を接収。 1945.10.24 鞍山広播電台放送開始。 1945 末 鞍山新華広播電台と改称。 1946.3. 国民党軍の進攻により、鞍山撤退。放送停止。 1948.3 放送再開。後に国民党軍進攻で放送停止。 1948.11 初 放送再開。 1949.2. 機器の故障により放送停止。 1949.3. 放送再開。 1949.5. 鞍山人民広播電台と改称。 |
安東新華広播電台 |
1945.10 下旬 「安東放送局」を接収し、安東市政府広播電 台(後に安東新華広播電台と改称)成立。 1945.11.7 放送開始。 コールサイン XTAK(後に XNAR) 1946.10 国民党軍の進攻により、朝鮮・新義州へ移動し て放送継続。 1947.6.10 安東で放送再開。 1949.4. 安東人民広播電台と改称 1949.8 通化新華広播電台が廃止となり安東台へ編入。 |
大連新華広播電台 |
1945.12. 「大連放送局」を接収。 1946.1.16 大連広播電台放送開始。コールサイン XGIR 1947.5.1 関東広播電台と改称。 1949.4.1 大連新華広播電台と改称。 1949.7.1 大連人民広播電台と改称。 |
撫順人民広播電台 |
1945.9 「撫順放送局」を接収。 1946 春 撫順市人民政府広播電台放送開始。 後に国民党軍の進攻により撫順県へ撤退。 1948.10.31 撫順市解放後、放送再開。 1949.5. 撫順人民広播電台と改称。 |
錦州新華広播電台 |
1948.10. 国民党の錦州広播電台を接収。 1948.12.15 放送開始 コールサイン XQCT 1945【1949の誤り】.5.1 錦州人民広播電台と改称。 1945【1949の誤り】.7. 遼北省・遼西省の合併により、四 平台は廃止され錦州台へ編入。 |
承徳新華広播電台 |
1945.8. 「錦州放送局」を接収し承徳へ移動。 1946.2. 承徳新華広播電台の建設が決定。 1946.5.1 放送開始。 1946 夏 国民党軍の進攻により承徳から移転。 1947 春 斉斉哈爾へ至り、西満新華広播電台と一時合 併。 1947 秋 中共冀察熱遼中央分局は、承徳台は熱河省赤峰 で「冀察熱遼新華広播電台」を建設するよう決 定。 1948 冬 承徳へ戻り再び放送局を建設。 1949.8.15 熱河人民広播電台放送開始。 |
放送局名 |
簡 史 |
華東新華広播電台 |
1948.5. 山東省五蓮県で建設開始。後に臨コウ[肉月に 句]県へ移転。 1948.12.20 放送開始。 コールサイン XNEC 1949.2. 済南市へ移転。 1949.5.27 上海人民広播電台の放送開始後、華東台は放送 停止。 1949.9.1 華東台は、上海人民広播電台第一台の名で華東 地区向け放送を開始。 1950.4.1 上海で華東人民広播電台放送開始。 1955.1.1 放送停止。 |
済南新華広播電台 |
1948.11.8 国民党の山東広播電台を接収して建設された済 南特別市新華広播電台が放送開始。 1949.6.13 済南新華広播電台と改称。 1949.6.20 済南人民広播電台と改称。 1950.10.27 山東人民広播電台と改称。 |
徐州新華広播電台 |
1949.2.1 国民党の徐州広播電台を接収して建設された徐 州新華広播電台放送開始。 1949.9.1 徐州人民広播電台と改称。 |
青島人民広播電台 |
1949.6.2 国民党の放送局を接収し放送開始。 |
南通新華広播電台 |
1949.3.2 国民党の南通広播電台を接収して建設された南 通新華広播電台放送開始。 1949.7.8 南通人民広播電台と改称。 |
南京人民広播電台 |
1949.4.24 国民党の中央広播電台は南京広播電台の名で放 送(主に北平新華広播電台の中継)。 1949.5.6 国民党の中央台と「軍中之声広播電台」を接収 し、南京人民広播電台を建設。 1949.5.18 放送開始。 1953.1.1 南京台を基礎に蘇北・蘇南台を合併し江蘇、南 京人民広播電台を設立。両局の名で放送。 |
常州人民広播電台 |
1949.4.23 国民党の武進県党部広播電台【これが局名か否 か文章からは不明】と常州市三青団常州広播電台 を接収。放送開始。 1949.4.27 常州人民広播電台放送開始。 |
蘇州新華広播電台 |
1949.5.15 「国立教学院実験電台」を基礎に建設された蘇 州新華広播電台放送開始。 1949.9.1 蘇州人民広播電台と改称。 |
無錫人民広播電台 |
1949.8.6 接収開始。無錫広播電台の名称のまま放送を継 続。 1949.9.1 無錫人民広播電台の名称で放送開始。 1951.4. 蘇南人民広播電台と改称。 |
浙江新華広播電台 |
1949.5.25 国民党の浙江広播電台を接収して建設した浙江 新華広播電台放送開始。 1949.6.9 杭州人民広播電台と改称。 1951.5. 浙江人民広播電台と改称。 |
上海人民広播電台 |
1949.5.27 国民党の上海広播電台を接収して放送開始。 1949.9.1 華東地区向け放送を実施。華東向けは上海人民 広播電台第一台、上海向けは上海人民広播電台第 二台の局名で放送。 1950.4.1 華東人民広播電台の放送開始により、華東向け 放送は停止。 |
福州人民広播電台 |
1949.8.24 国民党の福建広播電台を接収して建設した福州 人民広播電台放送開始。 1951.9.28 福建人民広播電台と改称。 |
放送局名 |
簡 史 |
中原新華広播電台 |
1948.10 中共中央中原局は新華社中原総分社が放送局を 建設することを決定。 1949.2.13 鄭州で中原新華広播電台放送開始。 1949.5 武漢解放前に中共中央中原局が南遷し、放送停 止。 1949.5.23 武漢新華広播電台(5月19日に放送開始の漢口 人民広播電台を基礎に建設)放送開始。 1949.9.1 武漢人民広播電台と改称。 1950.5.1 中南人民広播電台と改称。 1954.4.30 放送停止。 |
漢口人民広播電台 |
1949.5.19 放送開始 1949.5.23 武漢新華広播電台の放送開始後、放送停止。 |
南昌新華広播電台 |
1949.5.25 国民党の南昌広播電台を接収して建設した南昌 新華広播電台放送開始。 1949.6.3 南昌人民広播電台と改称。 1951.1. 江西人民広播電台と改称。 |
放送局名 |
簡 史 |
西北新華広播電台 |
1948.12. 延安に放送局を再建することを決定。 1949.1.5 延安で西北新華広播電台放送開始。コールサインXGYA 1949.6.1 西安へ移転。 1949.6.6 西安新華広播電台 1949.7.1 西安人民広播電台と改称 1950.9.1 西北人民広播電台と改称。 1954.9.10 放送停止。 |
蘭州人民広播電台 |
1949.9.7 国民党の蘭州広播電台を接収して建設した蘭州 人民広播電台放送開始。 1951.4.1 甘粛人民広播電台と改称。 |
西寧人民広播電台 |
1949.9.14 国民党の西寧広播電台を接収して建設した西寧 人民広播電台放送開始。 1951.4.1 青海人民広播電台と改称。 |